93歳の父が遺してくれたもの

大正、昭和、平成、令和と生き抜いてきた父が

93歳で亡くなった。

8年前に私が独立してから、仕事で関西に行く時は

芦屋の実家に泊まって、父とお酒を飲みながら

結構楽しくいろいろな話をした。

変わらないのは、説教くさい体質。

「おい、ちょっとスカート短すぎるんとちゃうか」

50代の娘に「門限は11時」と言い渡し、

その時間を過ぎると携帯におびただしい数のメッセージ…

父の母校・旧制第六高等学校の正門

変わったのは、失敗談ややんちゃな話をしてくれたこと。

たくさん中学を落ちまくったとか

旧制高等学校時代は、寮の2階から放尿していたとか

K重工に入社してプロペラ機を乗り継いで(ホンマかいな)

アメリカに行き、その巨大さにビビりながら

「2度とアメリカに負けへん」と誓ったとか

伝統的な部門に対抗して新しい事業を立ち上げたものの

お金ばっかり使って成果が上がらず

53歳で大病をした時には社内で喝采が起こったとか

同居していたばーちゃんが嫌いだったから

家に帰るのがイヤだったとか

ママさん相手にうだうだと自慢話をする91歳

残念ながら、死んでも新聞に名前は載らなかった。

でも私の父は、ハタ迷惑なほどに強い信念を持ち

誇り高い人だった。

JR岡山駅前にある六高の書生さん像

2020年は、ウィルス感染拡大防止の影響で

気分が沈むことも少なくない。

でも、私はこの人の娘だ。

そんな見えない自信が私を支えてくれる。